蝶夢
NL至上主義者による非公式二次創作小説サイト。
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蝉しぐれ
タイトルは同名の藤沢周平の小説から。(恐れ多い)
夏の銀さんとお妙さん
夏の銀さんとお妙さん
暑いですね、女はちっとも暑さを感じてなさそうな顔でそう挨拶した。日傘の下の表情は微笑していた。こういう時が一番危ないと男は経験上知っている。
何してんの? 気だるげに尋ねると、お墓参りです、と返される。男は暑さを耐えるなど真っ平ご免だった。真夏の昼間、ガンガンにクーラーを効かせた部屋でタオルケットをかぶって惰眠を貪りながらジャンプを読むのが最高の至福だと思っている。そこに糖分があればなお良い。
しかしながらそれは全て理想であって、電気代諸々その他の事情から残念なことに自粛しているのが現実だ。一番若年のチャイナ娘はとうに見限って友人の家に遊びに出かけた。万事屋は今、女の弟が一人で留守番している。それを見通しているかのようなタイミングでこの女は現れた。
「もうちょい涼しい時間帯に行きゃいいのに」
顎に一発食らった後、二人は公園のベンチに腰掛けていた。手にはラムネを持っている。女は上手に凹凸にガラス玉を引っかけて、いかにも涼しげに喉を鳴らした。
「そうなんですけど。仕事がありますから」
誰かさんとは違って、いつもの皮肉も耳の穴からすうっと通り抜けてしまう、暑い。
わんわんと耳鳴りするほど五月蠅く蝉が鳴いている。夏の夕立の如く激しく、頭上から叩きつけられる。
「なんだってこうもうるせぇのかね」
「あら、銀さん知らないの?」
恋に焦がれているからよ。
女はさらりと照れもせず、そう宣う。ロマンチックというものとは対極にいるであろう男は物臭げにラムネを口に含んだ。
「恋に、ねぇ。随分綺麗な響きで言うけど、結局はヤりてーだけだろーが」
「銀さんと一緒にしないでください。それだけに命を費やして、それだけのために生きてるのよ」
ふーん、と男はまた気だるげに返事をした。女は夢見ているなと思った。年相応に憧れているのだなとぼんやり思った。
「それだけが人生ってのも、なんか、つまんなくね?」
「それだけに生きられるってのも、かえってどこか憧れません?」
「ぜんっぜん」
カラン、とラムネが音を立てる。大音響の蝉の中でも、その音は軽やかに際だって鼓膜に届いた。
「恋だけとか、しんどすぎるだろ。他のことも程々にやってっから、多少どれかしらダメんなっても踏ん張れるんだろ」
「まぁどれも中途半端な人間には言われたくない言葉ですね、特に天パとか」
にっこりと笑みを浮かべる。男は天パ関係ねーだろなめんなよ、と弱々しく反論した。
「蝉って言うと、叶わなかった恋の物語を思い出します」
女は手の中でラムネのビー玉を転がしている。その仕草がいつもよりも幼く見えた。男は黙って聞いている。
「本当に好きな人とは結婚できず、他の人と結婚しちゃうんですよ。でも、だからこそ、叶わなかったからこそ、綺麗なままの大事な気持ちでずっと大切にできるんでしょうね」
瓶の中のガラス玉はゆらゆら、取り出すことも叶わずただそこで揺れている。何とか取り出そうと画策していた、幼い頃を思い出す。
「でもね、そういうのって、私、あんまり好きじゃないわ」
あっけらかんと言ってのけた。こいつはラムネの瓶も遠慮なく叩き割って中の玉を取り出すタイプだ、昔、仲間同士で割らずに取り出そうと言いながら、結局そういうことをする奴がいた、俺だけど。年少期の忌々しい思い出に耽る。男と女では、そこに耐久時間の差があるだけだ。
「本当に欲しいものなら、欲しいって我武者羅に手を伸ばした方がいいんです。求められる方だって、嬉しいはずよ。だから私、必死に鳴く蝉の方が好きです」
「つーこた、ストーカーゴリ…」
ゴフゥッ、男の呻き声が蝉の合唱に混じった。何か言いかけました? とても失礼で勘違い的な、何かを。イイエ、男は鼻を押さえながら首を振った。
「しっかし、オメー、相手にも事情とか、ほんとに幸せ願うなら手ェ伸ばせねェことだってあるだろ。そーゆーのが、ホラ、大人の純愛ってヤツだぜ」
「そうかもしれません。それでも、ですよ」
一緒に奈落にまで堕ちて欲しい、それだって愛ですよ。
凛、と鮮烈な言葉は玻璃の如く、美しく響いた。
「強烈だな。つーか、わっかいねェ~さすが月9派」
「えぇ。大人になるって、傷つくのを恐れることでもあるんですね」
ちらりと盗み見た横顔は、伏し目がちの視線が妙に艶っぽかった。ぎくりとした。
「それじゃ、私、行きますね。ラムネのビン、返しておいてもらっていいですか」
おー、間延びした声に送られ、女の日傘が遠ざかる。しゃんしゃんと熊蝉が胸を震わせている。その合間にじーじーと油蝉の低音が混ざる。つくつく法師にはまだ早い。
「鳴かぬ蛍が身を焦がすんだろ、ったく誰の話してんだか」
うるさいのは、恋に焦がれているのは、誰なのか。主語のない会話に意味はない。
けれど、と男は思った。蝉にしろ蛍にしろ、短命な生き物だ。人だって似たようなものだと充分すぎる程身に染みている。墓場へ向かう、あの女も既に知っていることだった。
ラムネの瓶を持ち上げて日の光に透かしてみた。瓶に傷つけることなく、カラカラと揺れるガラス玉の取り出す術を、未だ知らない。後先考えず叩き割る程に、男も女も幼くはなかった。
叶わなかった恋はいつまで経ってもガラス玉と同じような色であり続けるのだろう。取り出してしまえば、きっと違う色になる。それにはまだ少し、時間がかかりそうだった。蝉ばかりが気を急いで鳴いていた。
何してんの? 気だるげに尋ねると、お墓参りです、と返される。男は暑さを耐えるなど真っ平ご免だった。真夏の昼間、ガンガンにクーラーを効かせた部屋でタオルケットをかぶって惰眠を貪りながらジャンプを読むのが最高の至福だと思っている。そこに糖分があればなお良い。
しかしながらそれは全て理想であって、電気代諸々その他の事情から残念なことに自粛しているのが現実だ。一番若年のチャイナ娘はとうに見限って友人の家に遊びに出かけた。万事屋は今、女の弟が一人で留守番している。それを見通しているかのようなタイミングでこの女は現れた。
「もうちょい涼しい時間帯に行きゃいいのに」
顎に一発食らった後、二人は公園のベンチに腰掛けていた。手にはラムネを持っている。女は上手に凹凸にガラス玉を引っかけて、いかにも涼しげに喉を鳴らした。
「そうなんですけど。仕事がありますから」
誰かさんとは違って、いつもの皮肉も耳の穴からすうっと通り抜けてしまう、暑い。
わんわんと耳鳴りするほど五月蠅く蝉が鳴いている。夏の夕立の如く激しく、頭上から叩きつけられる。
「なんだってこうもうるせぇのかね」
「あら、銀さん知らないの?」
恋に焦がれているからよ。
女はさらりと照れもせず、そう宣う。ロマンチックというものとは対極にいるであろう男は物臭げにラムネを口に含んだ。
「恋に、ねぇ。随分綺麗な響きで言うけど、結局はヤりてーだけだろーが」
「銀さんと一緒にしないでください。それだけに命を費やして、それだけのために生きてるのよ」
ふーん、と男はまた気だるげに返事をした。女は夢見ているなと思った。年相応に憧れているのだなとぼんやり思った。
「それだけが人生ってのも、なんか、つまんなくね?」
「それだけに生きられるってのも、かえってどこか憧れません?」
「ぜんっぜん」
カラン、とラムネが音を立てる。大音響の蝉の中でも、その音は軽やかに際だって鼓膜に届いた。
「恋だけとか、しんどすぎるだろ。他のことも程々にやってっから、多少どれかしらダメんなっても踏ん張れるんだろ」
「まぁどれも中途半端な人間には言われたくない言葉ですね、特に天パとか」
にっこりと笑みを浮かべる。男は天パ関係ねーだろなめんなよ、と弱々しく反論した。
「蝉って言うと、叶わなかった恋の物語を思い出します」
女は手の中でラムネのビー玉を転がしている。その仕草がいつもよりも幼く見えた。男は黙って聞いている。
「本当に好きな人とは結婚できず、他の人と結婚しちゃうんですよ。でも、だからこそ、叶わなかったからこそ、綺麗なままの大事な気持ちでずっと大切にできるんでしょうね」
瓶の中のガラス玉はゆらゆら、取り出すことも叶わずただそこで揺れている。何とか取り出そうと画策していた、幼い頃を思い出す。
「でもね、そういうのって、私、あんまり好きじゃないわ」
あっけらかんと言ってのけた。こいつはラムネの瓶も遠慮なく叩き割って中の玉を取り出すタイプだ、昔、仲間同士で割らずに取り出そうと言いながら、結局そういうことをする奴がいた、俺だけど。年少期の忌々しい思い出に耽る。男と女では、そこに耐久時間の差があるだけだ。
「本当に欲しいものなら、欲しいって我武者羅に手を伸ばした方がいいんです。求められる方だって、嬉しいはずよ。だから私、必死に鳴く蝉の方が好きです」
「つーこた、ストーカーゴリ…」
ゴフゥッ、男の呻き声が蝉の合唱に混じった。何か言いかけました? とても失礼で勘違い的な、何かを。イイエ、男は鼻を押さえながら首を振った。
「しっかし、オメー、相手にも事情とか、ほんとに幸せ願うなら手ェ伸ばせねェことだってあるだろ。そーゆーのが、ホラ、大人の純愛ってヤツだぜ」
「そうかもしれません。それでも、ですよ」
一緒に奈落にまで堕ちて欲しい、それだって愛ですよ。
凛、と鮮烈な言葉は玻璃の如く、美しく響いた。
「強烈だな。つーか、わっかいねェ~さすが月9派」
「えぇ。大人になるって、傷つくのを恐れることでもあるんですね」
ちらりと盗み見た横顔は、伏し目がちの視線が妙に艶っぽかった。ぎくりとした。
「それじゃ、私、行きますね。ラムネのビン、返しておいてもらっていいですか」
おー、間延びした声に送られ、女の日傘が遠ざかる。しゃんしゃんと熊蝉が胸を震わせている。その合間にじーじーと油蝉の低音が混ざる。つくつく法師にはまだ早い。
「鳴かぬ蛍が身を焦がすんだろ、ったく誰の話してんだか」
うるさいのは、恋に焦がれているのは、誰なのか。主語のない会話に意味はない。
けれど、と男は思った。蝉にしろ蛍にしろ、短命な生き物だ。人だって似たようなものだと充分すぎる程身に染みている。墓場へ向かう、あの女も既に知っていることだった。
ラムネの瓶を持ち上げて日の光に透かしてみた。瓶に傷つけることなく、カラカラと揺れるガラス玉の取り出す術を、未だ知らない。後先考えず叩き割る程に、男も女も幼くはなかった。
叶わなかった恋はいつまで経ってもガラス玉と同じような色であり続けるのだろう。取り出してしまえば、きっと違う色になる。それにはまだ少し、時間がかかりそうだった。蝉ばかりが気を急いで鳴いていた。
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