蝶夢
NL至上主義者による非公式二次創作小説サイト。
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ずれて重なる
怪我人の男鹿とヒルダさん
銀魂の紅桜編のオマージュを含みます
銀魂の紅桜編のオマージュを含みます
久しぶりに帰った男の部屋に、血の臭いが混じっていて、少し、不愉快だと女は思った。
「…無様だな」
ぼそりと女の口から溢れた呟きは、誰に拾われることもなく、空しく床に転がった。無表情で、何者にもその心中を読ませない秀麗な顔は、じっとベッドの上で眠る男を見下ろしていた。頬には大きなガーゼが貼ってあり、男の顔半分を覆い隠している。今は布団に隠れている体にも、至るところに包帯が巻いてあった。
「愚かな」
すうっと、安らかな表情で眠る男は、痛みなど感じていないようだった。それよりも女を手中に取り戻せた満足感が上回っているらしい。女は眉根を寄せ、腹立たしげに吐き捨てた。噛み締めた唇は、赤い。感情の揺れを抑え込む。
「…ん、ヒルダ…」
不意に男が女の名前を呟いた。ヒルダはぴく、と身体を揺らした。
「…男鹿」
男の手が、女の存在を探るように虚空をさ迷う。ヒルダは一瞬、臆したように躊躇って、それから短く息を吐くと、そっと男の硬い皮膚をつつくようにして触れた。男鹿は未だ目を閉じたまま、しかし迷わず女の指先を掴んだ。
「なんだ。ここにいる」
「…おー」
男の手が思いの外熱く、ヒルダは居心地が悪そうに目を伏せた。
「夢じゃねぇだろーなこれ。起きて夢オチとかだったらマジで死ぬ」
「馬鹿なことを。起きているなら、さっさと目を開けろ」
男の手が熱くて、火傷しそうだと思う。男鹿は少し黙ってから、更に続けた。
「お前、ケガは?」
「お陰様で掠り傷程度だ。貴様、人の心配はいい。自分がどういう状況だったのか、わかってるのか?」
「さぁ。無事帰ってこれたんなら、何でもいいんじゃね」
「良くない。前から言おうと思っていたが、悪魔同士のいざこざに首を突っ込むな」
ヒルダはされるがままだった手を、握り返した。
「…死にたいのか、貴様」
苛々した。男鹿が傷だらけのこの状況も、男鹿がヒルダを助けに現れたことも、何故助けに来たのかと憤りながら、心のどこかでその刹那ほっとしてしまった彼女自身にも、苛々した。そして、今の手を振り払えないこの感傷も、やはり気に食わない。
「んなわけねーだろ」
「なら金輪際、こんな真似はやめろ。命がいくつあっても足りんぞ」
女の本心だった。懸念している、恐れている。ベル坊を危険に巻き込むなんてこと、あってはならない。仮令この身が滅ぼうとも、ベル坊を守れるのであれば容易いことと、女は信じている。自分を助けるために危険に身をさらすなど、悪ふざけもいいところだと腹が立った。
「言ったはずだ、貴様は、この人間界でたった一人の父親だと」
「おー。聞いた」
「なら、何故助けに来た。私のことなど、捨て置け」
「なんで」
男はどこか面倒臭そうだった。もしかしたら、この問答を続けるのが体に辛いのかもしれない。女はそう解釈したが、これだけは話をつけておきたかった。
「なんでもクソもない、そのままだ。貴様は、坊ちゃまのことだけを考えていれば良い。悪魔同士の揉め事は、貴様に関係ない。約束しろ、二度とこんな真似はしないと」
男鹿からの返事はなかった。ヒルダは畳み掛ける。話はそれで終わらせるつもりだった。
「わかったな?」
「…ムリ」
「は?」
ぼそっと返された、返事にも満たない呟きに、聞き間違いかとヒルダは呆けた声を出す。男は黒曜の瞳を開いた。ただ、何もないはずの天井を見つめたまま、もう一度繰り返す。
「ムリ。それ」
「気でも狂ったか」
「そりゃー、こっちのセリフだっつの」
流石にそろそろ手を離そうと思ったが、男の手がそれを許さない。不自然だとヒルダは思った。男は弱っていて、しかも彼女を助けるべくしてこのようになったのだから、不在に不安を覚えるのは、自然な感情だったのかもしれない。けれど、いつまでもこうやって手を握りあっているのは、どうにも不自然だと思った。何かがちくちくする。ささやかな違和感。これ以上は、恐らく違う。
「なんか、それじゃまるで心配してるみたいじゃん、お前」
「………」
阿呆、とも、寝惚けているのか、とも、幾らでも言い様はあったはずなのに、女は黙した。この男が、わかっているはずがない。
「俺は、お前を連れて帰りたかった。ベル坊もだ。それの、どこがダメなわけ?」
「…だから、私は、貴様が坊ちゃまの父親だと、認めて、」
「そんなの、理由にならねーだろ」
「私にはなる。ならばこう言おう、私は、私がいなくなっても、貴様になら安心して坊ちゃまを任せられる。…男鹿、これ以上私に譲歩させるな。四の五の言わず、黙って約束しろ」
「なんだそのふざけた理由。それで頷けってのが、どうかしてんじゃねぇか」
「声が大きい。坊ちゃまが起きる」
「声がでかくなってんのはてめーもだろーが」
はぁ、と長い息を吐いたのは男鹿の方だった。苛立ちが眉間に表れている。掴まれた手が痛い。
「…お前さ、何でそんなに自分の存在を軽く扱うんだよ」
「私は坊ちゃまのために存在している。貴様こそ、命を粗末にするな。悪魔のことは、悪魔に任せておけ」
「余計おかしいだろ。ベル坊の父親なら、悪魔のことに首つっこんで何がおかしい」
「男鹿、いい加減に、」
「お前のことに首つっこんで、何が悪い」
男鹿はヒルダを見た。ヒルダも男鹿を見つめ返した。二人の視線が重なる。ヒルダは奥歯を噛み締めた。ささやかだったはずの何かが、大きくなって、明確な形を持とうとしている。溢れようとしている。それは、ヒルダだけでなく、男鹿の方も同じであると気づいてしまった。
「…後悔するぞ」
「さぁー、それは先の俺が決めるこった」
「死ぬかもしれん」
「俺が強くなればいいだけだろ」
「…私は、望んでいない」
「じゃあ気にすんな。俺がそうしたいだけ」
その言葉を最後に、するりと呆気なく手が離れる。男鹿は目を閉じた。ヒルダも立ち上がって、ドアへと向かう。
「…勝手にしろ」
顔を見もしなかった。がちゃりとドアノブの回る音を残して、ヒルダは出ていった。
「馬鹿な男」
廊下に落ちた呟きを、拾う者はいない。
やはり愚かだと思う。この家の人間だっているのに。これ以上、何を背負う必要があろうか。悪魔にかまけたりして、馬鹿な男だ。
だから、体の奥底を鷲掴まれたような感覚はまやかしだと言い聞かせて、その場を離れた。
「かわいくねー女」
ヒルダの去った部屋の中で、男鹿がぼそっと漏らした。体の向きを変え、眠りに入る。
(守りてーんだ、なんて、お前は笑うだろーから、言わねぇけど)
睡魔に拐われ行く思考の中で、そんなことを、思った。
「…無様だな」
ぼそりと女の口から溢れた呟きは、誰に拾われることもなく、空しく床に転がった。無表情で、何者にもその心中を読ませない秀麗な顔は、じっとベッドの上で眠る男を見下ろしていた。頬には大きなガーゼが貼ってあり、男の顔半分を覆い隠している。今は布団に隠れている体にも、至るところに包帯が巻いてあった。
「愚かな」
すうっと、安らかな表情で眠る男は、痛みなど感じていないようだった。それよりも女を手中に取り戻せた満足感が上回っているらしい。女は眉根を寄せ、腹立たしげに吐き捨てた。噛み締めた唇は、赤い。感情の揺れを抑え込む。
「…ん、ヒルダ…」
不意に男が女の名前を呟いた。ヒルダはぴく、と身体を揺らした。
「…男鹿」
男の手が、女の存在を探るように虚空をさ迷う。ヒルダは一瞬、臆したように躊躇って、それから短く息を吐くと、そっと男の硬い皮膚をつつくようにして触れた。男鹿は未だ目を閉じたまま、しかし迷わず女の指先を掴んだ。
「なんだ。ここにいる」
「…おー」
男の手が思いの外熱く、ヒルダは居心地が悪そうに目を伏せた。
「夢じゃねぇだろーなこれ。起きて夢オチとかだったらマジで死ぬ」
「馬鹿なことを。起きているなら、さっさと目を開けろ」
男の手が熱くて、火傷しそうだと思う。男鹿は少し黙ってから、更に続けた。
「お前、ケガは?」
「お陰様で掠り傷程度だ。貴様、人の心配はいい。自分がどういう状況だったのか、わかってるのか?」
「さぁ。無事帰ってこれたんなら、何でもいいんじゃね」
「良くない。前から言おうと思っていたが、悪魔同士のいざこざに首を突っ込むな」
ヒルダはされるがままだった手を、握り返した。
「…死にたいのか、貴様」
苛々した。男鹿が傷だらけのこの状況も、男鹿がヒルダを助けに現れたことも、何故助けに来たのかと憤りながら、心のどこかでその刹那ほっとしてしまった彼女自身にも、苛々した。そして、今の手を振り払えないこの感傷も、やはり気に食わない。
「んなわけねーだろ」
「なら金輪際、こんな真似はやめろ。命がいくつあっても足りんぞ」
女の本心だった。懸念している、恐れている。ベル坊を危険に巻き込むなんてこと、あってはならない。仮令この身が滅ぼうとも、ベル坊を守れるのであれば容易いことと、女は信じている。自分を助けるために危険に身をさらすなど、悪ふざけもいいところだと腹が立った。
「言ったはずだ、貴様は、この人間界でたった一人の父親だと」
「おー。聞いた」
「なら、何故助けに来た。私のことなど、捨て置け」
「なんで」
男はどこか面倒臭そうだった。もしかしたら、この問答を続けるのが体に辛いのかもしれない。女はそう解釈したが、これだけは話をつけておきたかった。
「なんでもクソもない、そのままだ。貴様は、坊ちゃまのことだけを考えていれば良い。悪魔同士の揉め事は、貴様に関係ない。約束しろ、二度とこんな真似はしないと」
男鹿からの返事はなかった。ヒルダは畳み掛ける。話はそれで終わらせるつもりだった。
「わかったな?」
「…ムリ」
「は?」
ぼそっと返された、返事にも満たない呟きに、聞き間違いかとヒルダは呆けた声を出す。男は黒曜の瞳を開いた。ただ、何もないはずの天井を見つめたまま、もう一度繰り返す。
「ムリ。それ」
「気でも狂ったか」
「そりゃー、こっちのセリフだっつの」
流石にそろそろ手を離そうと思ったが、男の手がそれを許さない。不自然だとヒルダは思った。男は弱っていて、しかも彼女を助けるべくしてこのようになったのだから、不在に不安を覚えるのは、自然な感情だったのかもしれない。けれど、いつまでもこうやって手を握りあっているのは、どうにも不自然だと思った。何かがちくちくする。ささやかな違和感。これ以上は、恐らく違う。
「なんか、それじゃまるで心配してるみたいじゃん、お前」
「………」
阿呆、とも、寝惚けているのか、とも、幾らでも言い様はあったはずなのに、女は黙した。この男が、わかっているはずがない。
「俺は、お前を連れて帰りたかった。ベル坊もだ。それの、どこがダメなわけ?」
「…だから、私は、貴様が坊ちゃまの父親だと、認めて、」
「そんなの、理由にならねーだろ」
「私にはなる。ならばこう言おう、私は、私がいなくなっても、貴様になら安心して坊ちゃまを任せられる。…男鹿、これ以上私に譲歩させるな。四の五の言わず、黙って約束しろ」
「なんだそのふざけた理由。それで頷けってのが、どうかしてんじゃねぇか」
「声が大きい。坊ちゃまが起きる」
「声がでかくなってんのはてめーもだろーが」
はぁ、と長い息を吐いたのは男鹿の方だった。苛立ちが眉間に表れている。掴まれた手が痛い。
「…お前さ、何でそんなに自分の存在を軽く扱うんだよ」
「私は坊ちゃまのために存在している。貴様こそ、命を粗末にするな。悪魔のことは、悪魔に任せておけ」
「余計おかしいだろ。ベル坊の父親なら、悪魔のことに首つっこんで何がおかしい」
「男鹿、いい加減に、」
「お前のことに首つっこんで、何が悪い」
男鹿はヒルダを見た。ヒルダも男鹿を見つめ返した。二人の視線が重なる。ヒルダは奥歯を噛み締めた。ささやかだったはずの何かが、大きくなって、明確な形を持とうとしている。溢れようとしている。それは、ヒルダだけでなく、男鹿の方も同じであると気づいてしまった。
「…後悔するぞ」
「さぁー、それは先の俺が決めるこった」
「死ぬかもしれん」
「俺が強くなればいいだけだろ」
「…私は、望んでいない」
「じゃあ気にすんな。俺がそうしたいだけ」
その言葉を最後に、するりと呆気なく手が離れる。男鹿は目を閉じた。ヒルダも立ち上がって、ドアへと向かう。
「…勝手にしろ」
顔を見もしなかった。がちゃりとドアノブの回る音を残して、ヒルダは出ていった。
「馬鹿な男」
廊下に落ちた呟きを、拾う者はいない。
やはり愚かだと思う。この家の人間だっているのに。これ以上、何を背負う必要があろうか。悪魔にかまけたりして、馬鹿な男だ。
だから、体の奥底を鷲掴まれたような感覚はまやかしだと言い聞かせて、その場を離れた。
「かわいくねー女」
ヒルダの去った部屋の中で、男鹿がぼそっと漏らした。体の向きを変え、眠りに入る。
(守りてーんだ、なんて、お前は笑うだろーから、言わねぇけど)
睡魔に拐われ行く思考の中で、そんなことを、思った。
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