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蝶夢

NL至上主義者による非公式二次創作小説サイト。

   

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水鏡

名取×柊です。
大人向けっぽい描写があります。注意してください。
アニメを見てないので原作基準。名取の一人称が基本「私」です。





 糸のように細い雨が降っている。
分厚い布で仕切っていて、外は全く見えない。雨音もほとんどしない。時折、集まって少し大きくなった雨粒の、鈍い音でやっとそれとわかる程度だ。
時計の針の音さえしない。今が何時かもわからない。すべてが止まったままの部屋にいるのは、少しばかり窮屈なのではないのか。この男にとっては。ただでさえ殺風景な部屋、殊更生彩を欠いているように思われる。妖の身でさえそう考えるのだ、人の子ならば尚更だろう。
 時刻を確認してやろうと体を起こしたところで、手首を掴まれた。眠っていると思っていたが、実は起きていたらしい。
「…、」
吐息しか聞こえず、彼が何を口にしたのか妖の耳で拾えなかったのだから、きっと実際吐息しか口にしていない。それでも彼の要求は握りしめた右手が伝えてきた。
こんなとき、言葉は無用の長物だ。彼が何を求めているのか、少なくとも従順な式である柊ではない。何故なら私を掴んでいる人間もまた、祓い屋ではないからだ。
ただそっと髪に手櫛を入れてやる。強いて言うなら、母親が子どもにするように。俯せになって眠る姿も見慣れた。布団の温もりは意味をなさないのだろうか。思い出す、のか。彼は私の手を掴んで離さない。
大丈夫、という想いを込めて撫でてやる。私は、お前の傍を離れたりしない。望んで、ここにいるよ。
 雨の音はちろちろと流れる水の音にかき消される。朝は、いつ来るのだろう。
この部屋には、この子どもには。









 人と人を繋ぐことは案外容易い。
いつの頃からか、計算高く人の顔色を窺うことに長けていた私はそう考えている。人は皆役者だ。そういえば道化を名乗る作家がいた。羞恥を忘れるために酒を飲む、しかしその羞恥は酒を飲むことであるという惑星の住人と似たようなものだろう。それは特別珍しいことでもない気がする。だから、人に共感されるのだ。真に稀有なものとは同感されない。
 役者は、同じように演ずる者に敏感だ。不用意に踏み込まないことを知っている。ある種の契約に近しい。妖も同じことだ。
妖との契約は、最も単純にして最も強力なものの一つに、相手の名を知る、という行為が挙げられる。式との契約もこれに則る。名を与える行為もまた式との契約。相手の名を握るのは、その心臓を握ることと同義だ。古から伝わる初歩的な呪いは、それだけに強力なことが多い。言語とはそもそもそれ自体が呪いだ。人と妖を繋ぐことも、案外容易いもの。どのような形式であるかに拘らないのであれば、の話だが。
 主様、と女が呼ぶ。不幸な女だ。憐れむべき女だ。おれに抗う術を持たない。すべてこの支配下にある。望んで支配下に入った、奇特な女だ。可笑しな女だ。使える式であるなら何でもいい。こちらとしては申し分ない。
 そう、割りきってしまえれば、良かったのに。
ぬしさま、ぬしさま、と女が呼ぶ。ぱた、ぱた、と落ちるのは汗か。まさか、涙か? それを細い指が拐う。その指先をやんわりと含む。甘い。この手が好きだ。それ以上でもそれ以下でもない。意味など、ない。
人と人を繋ぐことは容易い。性行為は最も原始的かつ有効な手段の一つだ。契約としても、非常に強力なものだと言える。やはりこれも古来から用いられてきた方法だが、強力故にリスクも大きい。祓い屋として復業してからは、より警戒する必要があった。体を這うヤモリのこともあるし、行為の最中はどうしても無防備になりがちだ。的場一門のような大家は逆らうものに容赦ないが、そうでもない、しかもこんな廃れた家には余程のことがない限り攻撃してこない。えげつないのはもっと弱小の同業者だ。女を送り込んでくることだってある。うかうか女を抱くことも出来ない。
柊は私を主様と呼ぶ。これも契約を強める行為だ。言霊は使えば使うほど強くなる。そうやって主従関係を強めていく。
 柊を式にするのは、正直私の力量では少し難しいところがあった。元来山守りをしていた彼女は、私の他の式たちとは違う。力で捩じ伏せれば良いが、的場のように力があっても貴きもの、まともなものと契約を結ぶのは難しい。夏目、あの子は例外中の例外だろう。山守りとは神式に準ずる役目だ。そもそも山とは神である。山神は醜いと言われ、自身より醜いものを喜ぶ。彼女が素顔を隠し、異形の面をつけているのもそのためだ。神を守るのだから、攻撃的ではないにしても人を呪い殺せるだけの実力を彼女は持っている。だからこそ強い呪詛によって蔵護りとして縛られていた。それだけ強力でなければ、彼女を従えさせることが出来ないのだ。
その彼女が私に従っているのは、彼女の情による部分が大きく関与している。実際、彼女は他の式より自由度が高い。瓜姫や笹後に対するほどの強制力を、同じ契約では私が持ち得ないためだ。より強い呪いを施さずとも、彼女は私に従い続けただろうか。おれが彼女を求めたのは、一体何の為なんだろう。
 彼女はまっすぐにこちらを見ていた。恐怖の色も、嫌悪もなかった。哀しみさえなかった。こんな風にまっすぐ見つめてきた女が、彼女以外にいただろうか。母の顔さえ朧気な私には思い当たらない。乱暴に、ただの行為だとわかるようにしたかったのに、己の手は驚くほど慎重に彼女に触れた。そんな自分が嫌だった。乱暴なのも嫌だった。彼女に触れる自分は、もっと嫌だった。それでも、あっという間に溺れていった。
契約の一環だと正当化した。性として、手短かつ安全で、合理的な方法を取ったのだと言い訳した。その度に胸の奥底が軋んだ。
彼女は、特別だった。彼女にとって、私がそうであるように。あの遠い日、ただの無力な人の子だと断じた彼女が、慈しんで私に触れたように。特別な子どもになったように。私も、また。彼女の手当てをしたあの時、人でもなく妖でもなく。彼女はただ彼女だった。
それを私が壊したのだと、朝になって気がついた。小雨の降りしきる明け方、彼女は出ていったのだと知った。







 人は儚い。私を蔵護りに使っていた屋敷の主人も気づいたら次の代に変わっていた。名取もそうなるのだろうか。気がついた時には、彼の子が私を引き継いでいるのだろうか。
それは、とても不自然な想像だった。釈然としない予想だった。
元々山守りである私は、護りには適しているが攻撃にはあまり適さない。名取が今後的場と争っていくのなら、私の力では心許ないだろう。瓜姫と笹後、あの二人もそれを悟っている。彼の身を案じている。蔵護りとして朽ちようとしていた身だ、名取を守るために消えることなど今更厭うはずがない。彼を守るために、彼の世界を守るために存在していればいい。そして、名取、と私が言えば今仕える名取しかいないのだ。もし彼が逡巡するならば。私の存在を持て余すと言うならば、その時は。彼の手で終わらせてほしいと願うのは私の唯一の我儘だ。本当は優しい彼には、きっと酷な願いに違いない。それでも傍に、いたい、そう請うている。
だからこそ私は名取を受け入れた。より強い呪いで私を縛ることを承諾した。彼が何を思い、それを選んだのか曖昧にしかわからないが、名取以外に仕える気はなかった。これから先も、ずっと。
 彼にとって正しいことだったのか、それはとても疑わしかった。名取は揺らいでいるように見えた。彼らしくない選択ではあった。今の彼は模索している。己の取るべき道を、まだ迷っている。
私は名取の元を一時的に離れた。考える時間を、与えてやりたかった。




 「で、何しにうちに来たのさ」
邪魔するぞ、と押し掛けたのは夏目の家だった。あのねこまんじゅうは本当に仕事をしているのか? 結界が弛みっぱなしだ。尤も奴は、守りより攻撃に優れているのでそのせいかもしれん。後で私が補強しておこう。
名取が毎回問題を持ち込んでいるためか、私は歓迎されない客らしかった。名取の用で来たのではない、と言うと露骨に安堵された。小雨の中やって来た私に、夏目は慌てて拭くものを用意してくれた。
「珍しいな、柊が…名取さんの元を離れて大丈夫なのか?」
「問題ない。暫く会っていないから、お前の面を拝みに来てやっただけだ。相変わらずのもやしだな」
「失礼な、これでもちゃんと身長伸びて…」
背が伸びた分、ますますもやしになったななどと告げれば、この子どもは拗ねるのだろう。それはとても面白そうだったが、言うのを止めておいた。夏目の部屋はきちんと整理されていて居心地が良い。殺風景と言うわけでもなく、しかし細々としたものが置かれているわけでもなく。広すぎず狭すぎず、大切に使用されているのが一目でわかる。
「おい夏目、私の今日のおやつはまだか」
「先生…本当に食い意地張ってるよな。ちょっと待っててくれ柊、すぐ戻る」
言い置いて夏目は一階へと降りていった。ねこまんじゅうはそれを見送って、私の方に向き直ると、すっと目を細くした。
「…あの小僧の匂いがする」
それがどういうことを示すのか、互いに理解していた。私は黙って頷いた。
「それで逃げてきたのか? 夏目に助けを?」
「…見くびるな。私はそんなに柔ではない」
「しかし、現にこうして夏目の元へやって来た。奴の元を離れて」
ふん、とねこまんじゅうは鼻を鳴らした。探るような視線を向けられる。
「もう二度と山には還れまい。それはどうしようもないぞ」
ねこまんじゅうの口ぶりが、哀れみを含んだものに変わった。夏目が知ったら、どう思うだろう。ねこまんじゅうは夏目を追い出したのだ。それが有り難かった。私は静かに答えた。
「それはもとより覚悟していた」
「…随分惚れ込んだものだな」
揶揄するようでいて、やはり哀れみの色が見て取れる声音をしていた。憐れだろうか。この身は。名取も私の身の上を、憐れに感じているらしい。
「暮六つには帰る。私は、あの子に考える時間を与えたかっただけだ」
ねこまんじゅうも、夏目の傍にいるからだろうか。彼ら人の子が、人の子たる故にその奇異に悩み翻弄され、しかし人の子では持ち得ない力を、如何に用いるか選び取らねばならない様を、見ているからだろうか。人と妖とで揺れる心を、感じ取っているのだろうか。
「…消え去ることになってもか」
「私は最初からそのつもりだ」
私と彼の関係は、元はと言えばそこから生じている。その問いは今更過ぎた。
ふう、と目の前のねこまんじゅうは鼻から息を吐いた。パタパタと階段を上る音が聞こえる。部屋の主が戻ってきたのだ。
 夏目の話は人の子としての日常と非日常を行ったり来たりする。その境は極めて危うい。名取が心配するはずだ、と改めて思う。そこにあるのは同情だ。名取から夏目への同情。そして、私から夏目への。かつて私に泣きついた幼子を、否が応にも思い出させる。こいつとあの子は、似ている。人であることの不幸を、人ならざる異能の不幸を。彼らは抱えている。
だが、名取と夏目は、やはり異なる。夏目には同じように、とまでは言えないかもしれないが悩みを共有できる人間が、友人と呼べる妖がいるらしかった。それが尚の事普通と特異の境界を曖昧にしていることに、彼は気が付いているのだろうか。名取が懸念するのはその辺だろう。しかし、裏を返せば夏目は自身の奇異を肯定し、肯定されているということだ。いずれの世界にも寄り添おうと言うのだ、この馬鹿は。いずれの世界からも寄り添われているのだ、この子どもは。
「――でさ、…聞いてる? 柊」
「聞いている。夏目」
それは果たして、不幸だろうか。
「学校は楽しいか」
――今、幸せか。
そのような問いかけは仰々しすぎて、煩わしい。だからありふれたことを尋ねてしまった。それすらも愚問というものだ。このねこまんじゅうがついているのだし、何より夏目を見ていればわかる。
「柊、おれさ」
夏目は穏やかに微笑んでいた。
「はじめてなんだ、全部が。友達って呼べる奴がいて、友達って呼んでくれる奴がいて。失いたくない、いつまでもこのままならいいのにって、どんどん怖くなって。自分には何が出来るんだろう、どうやったら返せるんだろうって、そればっかり考えてるんだ」
幸せか否かなど。幸せの渦中にあるかは常に比較の結果でしかない。そう、割り切れないのが、おそらく想いなのだ。私が、あの子の傍にいることを選んだように。
「…柊は? 後悔していないのか、式になったこと」
「愚問だな」
言葉ではばっさり切り捨てたが、口調ははっきりと柔らかいものになった。
 あぁ、優しい子だよ、お前は。優しい、良い子だよ。いとおしいと思える。このようないとおしい生き物を、世界が愛してやれば良いと冀う。
全く同じことが、名取にも言えるのだ。故に、私は名取の傍にいることを選んだ。夏目では、ない。
夏目の世界はどんどん変化している。妖の私の目には、恐ろしいほどの早さで。名取よりも幼いこの子どもは、ずっと世界に感化されやすい。その中で美しいものも見るだろう。醜いものも目の当たりにするだろう。けれど乗り越えて行くのだろう。この子には、そうさせる友人たちがついているのだから。
その点、名取は夏目よりも脆かった。夏目との出逢いは大きな変化に違いなかっただろうが、そのことによって己の世界が揺れることを彼は良しとしていない。
私は名取の世界ではないだろう。それでも、彼を取り巻く片鱗として、彼を愛してやりたいのだ。
 お前が名を呼べば、飛んでいくのに。







 昔から雨の日は好きでなかった。硝子を通して眺める世界はいつもより滲んでいるのに、いつもよりはっきりとおかしなものが映り込んだ。外に出ることも家の中で過ごすことも、同じくらい苦しかった。おかしなものを視る、おかしな子。閉鎖的空間。息がつまる。人と妖、どちらの世界も、私には優しくなかった。
 演ずることは生きることそのものだ。普通の人ように、普通であるように振る舞う。ヤモリの痣はいつまで経っても消えない。初めは誰にでもあるものだと思っていた。幼い私がそのことを口にした際、人は皆気味悪がった。普通との差違を知った時、身体中を這い回るヤモリは己の業の醜さに違いないと考えた。一体前世で、或いは祖先が、どのような業悪を働いてこのような運命を担う羽目になったのか。どうしておれが? どうして? そういう風に考えた時期は勿論あった。けれど、成長するに従い実家の家業を調べる内に、むしろ逆の考えが芽生えてきた。ヤモリは家守と書く。信仰の対象にもされ、御札に描かれているものもあるし、魔除けとして祀られる。これは祓い人であるおれを家とした守役なのではないだろうか。そう思ってほっとした。それも束の間、注意深く見ていると、ヤモリが左足には絶対にいかないことに気がついてしまった。おれはやはり、おれが気味悪かった。一体何が起こるのか、何が起こっているのかわからない、漠然とした不安だけが転がっている。暗澹とした何かがぽっかりと口を開けておれが滑り落ちるのを待っている。
 柊が何故私の式になったのか、本当のところよくわからない。妖が何を考えているかなんて知りたいとも思わない。ただ、妖だ。単純に切ってしまえばいい。それくらいドライな方が祓い屋に向いているし、妖と上手くやっていける。そう、信じていた。だけど柊は、他の式たちよりもずっと人間的だった。人よりも私を人として扱ってくれた。
私の不気味さは私が一番よく知っている。柊の言動は不可解だ。不条理だ。変な女だ。初めて出逢った日もそう思ったし、未だにそう思っている。彼女にとって、私は仕えるべき主である前にただの人の子であるらしい。
 目覚めた時に柊の姿が見えなくて、本音は些か安堵した。元の環境に戻るのだと思った。柊が私の式になる以前の環境に。確かに今や彼女なしで祓い屋をやっていくことは厳しい。でも、そんなことよりも私の世界をかき乱される方が恐ろしかった。夏目は人だ。人間だ。悩みを共有できる人間だ。かつての自分を垣間見る、ただの子どもだ。彼に出逢って、私の考えは変化した。妖に対する考えも、祓い人としての立ち位置も。それは彼が人だからだ。かつての私だからだ。夏目の生き方は、見ていて心許ないが、彼からの影響は受け入れることができる。
しかし、柊はそうじゃない。彼女は妖なのだ。柊が居なくとも、何も変わらない。妖だ、奇異だ、視えぬ者には無でしかない。私は人間なのだから、私がいるのは人間の側なのだから、取るに足らないものなのだ。だから意味などない。彼女から、受けるものなど。 そんなものは認めない、認めたくない。
 真に稀有なものとは同感されない。ただ忌み嫌われるだけだ。疎外されるだけだ。それを存分に知っている。骨の髄まで身に染みている。世界が憎かった。妖の世界が憎かった。彼女だって、そちらの住人だ。
 なのに何故、そんなに優しく触れるんだ。
面の下の素顔を私は見た。静かな水面のように澄んだ瞳が、じっとこちらを見返していた。憐れみも悲しみも恐れも、その瞳からは感じられなかった。ただただ私を映していた。美しい玻璃のような瞳は、いつも私が嫌悪する世界と同じ色をしているのに、ずっとずっと綺麗だった。深淵を覗く時、深淵もまたこちらを覗いている。勿論妖が憎いためだけに祓い屋になったのではない。だがいつの間にか、怪物なのはどちらになっていた? この手はこんなにも優しいのに。
白い指が肌に触れると、ヤモリの痣が擦り寄るようにその指先に甘えた。それを見て彼女はふっと小さく微笑んだ。脳髄がぐらりと揺れた。
 長年染み付いたもの、生きるために身に付けてきたもの。柊を受け入れることは、それらを壊し、もう一度創造し直さなければならない。怖かった。 それで再び絶望したら、今度はどうやって生きていけばいい? 自分が間違った生き方をしてきたとは思えない。演ずることは生きることそのものだった。私は妖か人かということに拘りすぎているのだろうか。しかし、普通の人のように、普通の人と同化するには、自らの異分子を見出だし自覚して、上手く隠さなければならなかった。そうやって、私を憎み蔑みながらも利用する者達を逆手に、利用し返して生きてきた。そうでなければ、生きられなかった。名取の家は、先祖の契約に脅えている。祓い人になって、漸くあの家での存在意義が認められたのだ。それを今更変えることなど。
「主様」
声とほとんど同時に、ひゅ、と風の音がして夏目につけている人形が飛んできた。ここのところ的場の動きが盛んで、念のため見張りをつけている。それが帰ってきたということは、何か妖絡みの変化があったらしい。しかし、急を要するものではなさそうだ。
 私は柊の動向を探らせていた笹後の方を見た。
「あの小僧の元にいるようです」
ぐしゃりと衝動的に、紙の人形を握り潰した。









 あ、とふいに柊が声を落とした。
「名取が来た」
思ったよりも早かったな、という呟きに何かあったんだろうかと不安が沸く。でも柊は何でもないように(尤もお面のせいで表情はいつもわからない)、すくりと立ち上がると「邪魔したな」と言った。お帰りらしい。
「帰るのか」
先生が聞いた。柊が、あぁ、と頷く。
「帰るも何も、元より私は名取の範囲内にいる」
「おれも外に出るよ」
おれがそう言うと、一瞬間があった。
「・・・そうだな。そうしてやってくれ」
柊の返事は、至って静かなものだった。名取さんの顔を見たいという思いもあったけど、おれはどちらかと言うと柊のことを送るつもりで言ったんだけどな。柊はいつも名取さんのことを思った物言いをする。
 外はもう夕暮れだった。また祓い屋の仕事でもあったのだろうか、名取さんがいつもの伊達眼鏡をかけてこちらへやって来るのが見えた。
「こんばんは」
「夏目…」
名取さんは難しい表情をしているように見えた。挨拶をすると、はっとした顔でおれを見た。それからいつも通りの胡散臭い笑みを浮かべる。
「あぁ、こんばんは。…柊がお邪魔してただろう? 迷惑をかけたね」
「いえ、全然。色々話せて良かったし…」
名取さんがいきなり柊の腕を掴んだ。何だか怒ってるみたいだ。さっきの難しい表情は、やっぱり見間違えじゃなかったのか。おれはびっくりしてその間に入るよう、名取さんの前に立ち塞がる。
「ど、どうしたんですか?」
「…ちょっとね。私は許可していないよ、柊」
柊を見たけれど、お面で表情を知り得ない。
「…勝手なことをして申し訳ありません」
柊が謝る。何がなんだかわからない。けど、一方的に柊が悪いってことはないような気がした。柊はいつも名取さんに誠実だし、名取さんは妖を憎んでるところがあるし。このまま柊を帰すのは不安に思える。
「夏目、どいてくれ。君のところに上がり込んで、本当にすまなかったね。二度とこんなことがないように言い聞かせる」
「待ってください、柊は別に何も悪いことしてないし、おれは柊がうちに来てくれても全然構わな…」
「夏目」
名取さんが声を落とす。あぁ、残念だな、とぼんやり思う。彼とおれとでは、妖に対する考え方が違うんだと、こういう時はっきりわかる。それは名取さんが妖祓い人であるからで、おれはきっとこれからも祓い屋にはならないからだ。
「柊は妖だよ。人の家に上がり込むなんて」
「…友人が、友人の家に来ただけですよ」
沈黙。おれも引けなかった。だって、柊が優しいのを、ちゃんと知ってるから。柊が優しいと名取さんもわかっているのを、知ってるから。
「夏目、ありがとう。だが主様の言う通りだ。私は妖だよ、軽々しく邪魔するべきではなかった」
すまないな、と柊が言う。そこで柊がそう言ってしまえば、おれはもう何も言えない。もやり、としたものが胃袋の辺りで疼くけど、どうしようもない。
おれが退くと、名取さんはぐい、と柊の腕を引いたので、柊は少しよろめいた。
「柊に乱暴しないで下さい…!」
思わず咎めるような視線を向けてしまった。口から出た言葉は対照的に、懇願していた。
「私の式を私がどう扱おうと勝手だろ」
ぴしゃりと跳ね除けられてしまった。それが俄に哀しくさせる。ぐ、と歯を食い縛った。
「…すまない」
名取さんはこちらを見ずに言った。彼もまた戸惑っているのだ。
「悪かった。言い過ぎたよ、夏目。君が妖を…柊をどう思っているのかわかっていたのに」
「…いえ」
「ただ、これは私たち二人の問題なんだ。私も乱暴するつもりはないよ…信じてくれ」
名取さんもまた、おれにとって大切な友人だ。信用してない訳じゃない。だけど少し、不安なんだ。上手く言えない。もどかしい。




 柊は名取さんの後を半歩下がってついていった。いつもの距離で、主従だからこその距離。
「なぁ、先生」
「なんだ」
柊の黒い衣の裾が、風で翻る。どことなく、淋しい光景に思えた。
「柊が名取さんの式になった時にさ、言ったことを覚えてるかい? おれ、ほんとはちょっと後悔したんだ。これで、良かったのかなって」
柊が式となることを選んだ理由。そこにある感情。おれにはよくわからない。それは、柊が妖だからっていうことだけじゃない。
「もっと違う、幸せの形が、あったんじゃないかって」
たぶん、柊は一番柊らしい選択をしただけなんだ。だからおれにはわからない。おれにはおれの幸せと呼べるものがあるから。
「…いいじゃないか。あれは、満足しているようだ」
「…そうかな。そうだといいけど」
柊が名取さんを大切にしているのは、すごく伝わってくる。でも、名取さんはどうなんだろう。
「時々、二人を見てて不安になるよ」
「…まぁ、向こうもお前を見て同じように思っているだろうがな」
にゃんこ先生は目を細めてふぅ、と溜め息を吐く。それから、あれは痴話喧嘩というヤツだ、と呟いた。
「心配ない、あの式はしっかりしているだろう? 名取の小僧の面倒も上手い具合に見るさ。口煩い母親みたいなところがあるからな」
口煩い母親、なぁ。そんなもの、お目にかかったことがない。告げると、やれやれと先生は首をふった。
「塔子がまさにそれだろう。あとタキも。お節介というか、面倒見がいいというか。そんなところがあるだろう?」
「ぶっ」
おれはけらけら笑った。何となく、場面が想像できて可笑しかった。笑っている内に、目の端に涙が滲んできて慌てて拭った。嬉しいな、と思った。可笑しくて、それが嬉しかった。
それにな、と先生は続ける。家の中へと踵を返す。
「物事に一方的なんてない。名取も少なからず影響されているさ」
そうだと、いいな。柊が名取さんを大切にしているように。名取さんも、柊を。柊の幸せが名取さんの傍であるように。名取さんも、また。
「なぁ先生、それだとさ」
おれの幸せが今ここにあるように。
「なんだ」
「…何でもない」
そうだと、いいなぁ。心の中で呟いた。
夕飯よー、と塔子さんの呼び声がかかる。いいにおいがする。夕餉の空気を大きく吸い込む。返事をして、台所に向かった。







 風がまだ雨の名残を含んでいる。明日の明け方にも、また雨が降ると天気予報が言っていた。季節の変わり目の長雨は煩わしい。
 柊は何も言わず、黙って後をついてくる。いつも通りだ。私も特に何も言わない。それもいつも通りだ。本当にそうだろうか。内心はゆらゆらと揺れて、今にも崩壊しそうなほど危うい。何故私の元を離れた? 何故、夏目の元へ向かった? 感情のコントロールが上手くいかない。何もかもぶつけてしまいたい。だから黙っていた。
「主様」
口火を切ったのは柊からだ。私は歩くスピードを緩めない。柊の呼びかけにも応えない。
「主様は、間違っていません」
何を言うかと思えば。柊は愚かだ。私は尚も答えなかった。
「夏目に言ったこと、間違っていません。主従なのだから、正しいことです」
もう自棄になって、一生返事をしてやらないでおこうかとさえ思った。
「どうしようと、主様の自由です。間違っていません」
三度、柊は繰り返した。主従だから。そうだ、主従だから。間違っていない、主従なら。
唐突に立ち止まった。不意をつかれた柊がぶつかりそうになった。
「…あれ、も?」
間違っていないか。お前はそう言い切れるのか。柊は躊躇わなかった。すぐさま頷いた。
「はい」
その従順さが無性に苛立たしい。違うだろ。あぁ、でも何が違うと言うんだ。噛み合わない。齟齬がある。
「私が式になったのは、私が望んだからです。主様が気に病む必要は、」
「それじゃあ、何で出ていった?」
「主様、」
「じゃあ何で夏目のところへ行ったんだ!」
馬鹿馬鹿しい、これじゃあまるで嫉妬じゃないか。
「…主様が、困ると思って」
私が、傍にいては。
言われて、ぞっとした。彼女は、この女はわかっている。鏡に映すが如く、こちらを見透している。
「なぜ、どうして、」
意味をなさない言葉が溢れる。取り乱す、動揺する。息が上手く出来ない。彼女の他に、誰がこんなにも私を理解出来るだろう。その理由も知っている。これだけ傍にいて、わからない筈がなかった。
「違う、おれは、」
知らない、お前なんか知らない、大切にしたいなんて思ってない。嘘だ。騙されるな。遅いんだ。
「…もう、あの日の子どもじゃないんだ…!」
遂に、亀裂が入った。
露にしてしまった。
もっと早く言うべきだった。
本当は、もうずっと前から。
お前を殺しかけたあの日、否、祓い屋になると決めた時。
お前が慈しんだ子どもは消えたんだ。
「――知っている」
風が吹き抜けた。彼女の黒衣が翻る。亜麻色の髪が、儚げな色合いを宿して揺れる。
耳を、疑った。
「なら、どうして…」
この手は、お前を手当てしたあの日と同じ手じゃない。妖を使役し、必要とあらば痛めつける。傷つける側の手だ。
「でも、まだちゃんと、いる、だろう?」
彼女が笑う気配がした。とん、と細い指先が私の胸に触れた。
「そんなことで悩む必要はないんだ。それに私は、いてもいなくても、どちらでも良かった」
だから優しい子だと、言ったんだ。
そう言って、笑った。
私は呆然としていた。彼女の口調は、最早式としてのものでなかった。
「覚えてくれて、いたのだろう?」
纏う空気が、甘やかすものに変わった。彼女は吐き出させるつもりらしかった。伸ばされた両手が、頬を包む。ぽつりと、勝手に言葉が口から零れた。
「…嬉しかったんだ」
「…あぁ。私もだ」
ゆらり、ゆらり、揺れていたもの。主従として、式として、彼女は私の傍にいる。何故なら、彼女が私を愛しているからだ。それは、主としてでない。
 私は妖が憎かった。今だって許せない。でも、お前が傍にいると、許してしまいそうになる。夏目からの影響ではなく、妖のお前からの影響で、許せてしまいそうになるんだ。それが許しがたかった。そしてもどかしかった。お前を、大事にしたいから。いっそさっさと認めてしまいたいと思うのに、私の歪みは根深くて、なかなか折り合いがつけられない。
「違う。全く、違う」
同じじゃない。彼女はかつての私の行為が嬉しかったのだと言う。人の子が、哀れな妖にかけた刹那の憐憫が。だから、式になったのだと。何故こうも彼女が私を愛してくれるかがわからない。たったそれだけのことじゃないか。人では、ないからか。妖の感覚だから、なのか。彼女はいとおしんでくれるから私を理解出来るのに、私にはそれが理解出来ないんだ。
私は、お前が人であったらどんなに良かっただろうと思った。お前は、そのままの私を受け入れてくれたにも関わらず。何度も何度も思った。あの日の言葉がどれほど私を救ったか。あの日の言葉を、片時も忘れなかった。
 どうして、と思った。繰り返し心の中で叫んだ。理不尽だと、哀しかった。
「…どうして、お前は人じゃないんだ…」
ただ、それだけが、受け入れ難いのに。ただ、それだけで、お前をどうしたらいいのかわからない。私はお前に何を求めているんだろう。
どうありたいのか。答えが出ないんだ。けれど私は、夏目のようにはなれない。
「…私は、人ではないよ」
柊の手は、相変わらず優しい。この手が好きだ。これから先も、恐らくずっと。
柊は声も優しい。安心させる力を持っている。
「だからこそ、無力なただの人の子だと言えるんだ。だから、傍に、いたいんだ」
触れられて、じわりと湧き出す温かなものを感じ取る。
 いいんだ、と彼女が言う。大丈夫だと、彼女が笑う。
夏目のようでなくていい。私は、私の選択をしたんだ。だから、お前もお前の選択をすればいい。夏目が、夏目の道を選んだように。
 風が私たちの間を吹き抜けた。微かに雨の匂いが交じっている。彼女も感じているだろうか。共有できて、いるだろうか。
声を聞きながら、そっと目を閉じた。









 糸のように細い雨が降っている。
カーテンで仕切っている窓の外は全く見えない。雨音もほとんど聞き取れない。時折、集まって少し大きくなった雨粒の、重たい音が響く。硝子の向こうに濡れた世界が広がっている。
 人と人が、わかり合うのは難しい。人と妖も、同じように。今まで私がしてきたのと別次元のことをしようとしている。望むらくは、互いに好ましい形を。困難で、手探りで、理解しようと藻掻いている。そうやって、やっていくしかない。それだけだ。演じる必要も、手の内を読もうとする必要もない。それだけなのに、臆病がいつも必要にさせている。複雑にさせるのが、みんな得意なんだろう。私は特に不器用らしい。
 硝子を通さない視界の中に、彼女がいる。隣で身動ぎした彼女を逃さないよう、その手首を掴んだ。こんなとき、私と彼女の間に言葉は不要だ。むしろ差し障るものだ。私が何を求めているのか、少なくとも従順な式ではない。彼女を掴んでいる人間もまた、祓い屋ではない。
彼女が髪に手櫛を入れる。母親が子どもにするように。或いは、神が人の子に触れるように。いつくしまれている。いとおしまれている。私は彼女の手を掴んで離さない。
 大丈夫、と声も出してないのに聞こえた。お前の傍を離れたりしない。望んで、ここにいる、と。
 硝子の向こうにはすでに朝が来ているだろう。ちろちろとせせらぐ水の音が鼓膜に心地いい。束の間の、夢幻のようなものだ。日常を迎えれば消えるもの。今は、まだ。
それでもきっと、やがていずれ。
この部屋にも、私たちにも。


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プロフィール

HN:
黒蜜
性別:
女性
自己紹介:
社会人。
亀更新、凝り性で飽き性。
NL偏愛。
葛藤のあるCPだと殊更ハマる。
王道CPに滅法弱い。それしか見えない。

取り扱いCP:リクつら・名柊(夏目)・ネウヤコ(弥子総受け)・通行止め・イチルキ・ギルエリ・鷹冬(俺様)・殺りん・男鹿ヒル・銀妙・ルナミetc
その時々に書きたいものを、書きたいペースで。

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